Nの苦行・荒行 香港生活

30代の視線で香港での苦行荒行を綴って参ります。

ゴールしか見えない

 

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何かを成し遂げる時、雑念、邪念を捨てて、決めたゴールに驀進していく…
それはとても素敵なことだと思うし、大事なことかと思われる。

 

が、

 

実際、周りとの調和、バランスを考えて上手く物事が進まないのが現実ではないだろうか。

 

香港人は…

…その辺の遂行能力に優れている。

人が多い。

と思われる。

気がする。

 

それらの特殊能力は至る所で発揮される。

 

静かでゆったりとした空間を楽しめるレストランやカフェでも、「友人との会話を存分に楽しみたい」と思ったならば、回りとの調和だのバランスだの考えず、ただひたすら大声でわめき散らす。

 

バスに乗ろうと思えば、バスの入り口しか見えず、「とにかくバスが去る前に乗り込む、そして願わくば席をぶんどる!!」などとゴールを設定すれば、列に並んでる人など見えなくなる。

 

前の人を押そうが、抜かそうが、迷惑をかけようが、「ゴールしか見えていない」のである。

 

 

ゆえに、その過程でやらかす粗相には全くもって悪気はない。

えぇ、迷惑をかけようとか、邪魔してやろうなどの邪念はない。

 

ただ純粋に「ゴールしか見えていない」のである。

 

 

そのゴールに向かって全力疾走しようとしたところで、

「チョット、うるさいんですけど」

「並んでるんですけど」

 

などと水をさすと、

ハトが豆鉄砲を食らったかのように一瞬ビックリし、そして・・・

 

 

・・・逆ギレするのである。

 

 

えぇ、悪気がないからなのか

 

 

「そんなつもりじゃないのに何で責められなきゃいけないんだ!」

「そのくらいのことでいちいち怒らなくて良いじゃないか!」

 

 

などなど。

 

ゆえに、日本人の感覚をもってして、

「なんて失礼な」

「なんて無礼な」

などと思っては、

永遠に分かり合えない上、

身の危険すら感じる次第である。

 

えぇ、彼らが「相手を打ち負かし、勝つこと」などにゴールを設定したら、それはそれは純粋に、ひたすら攻撃してくるのである。

 

そういう特徴がつかめず悩んだ香港生活2~3年目はやたらイライラしていたのだが、最近、その風潮にも慣れ、ただ、ボケーっと受け流せるようになるとイライラもしなくなったのだ。

 

 

感覚でいうと、人ごみを歩く時、それはたとえば休日の竹下通りくらいの混み具合でも、目の前を見るのではなく200mくらい先をながめ、目の前はぼやけるくらいに気に留めない感じで歩く…

 

 

…と、

 

 

あら不思議。

 

香港人と同じような歩き方になり人にぶつかり、フラフラと歩き、周りが全く気にならなくなるのである。

 

 

郷に入りては郷に従え。

 

 

目の前の人が、マナー違反な非常識な行動をとっていても、それは悪気があるわけではなく、そして何より他人を不快にさせていると気づいていないので、なんというか・・・

 

 

…気にしてはいけない。

それをゴールにする所存である。。。

 

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