自分を愛するということ
他人の姿はよく見えるのに、
なぜ自分のことは悪く見えるのか。
拒食症を体験した友人Kは、自身の経験をこう振り返る。
「自分が太っていて嫌で、ダイエットを始めた」
「体重が減り始めると、周りが褒めてくれて嬉しかった」
「けれど、いつまで体重が落ちても、自分の目に映るのは、
鏡に映った自分の嫌いなパーツの部分」
「そこを改善するためにはもっと痩せないと」
・・・気がつけば、体重は適正体重を切っており、
ガリガリになっているのに、自分の嫌いなパーツ部分から
目が離せず、周りに「痩せすぎ」と言われても信じられなくなったのだという。
ワタクシにもその気持ちはよくわかる。
痩せたと言われるのはとても嬉しいし、
とはいえ、自分の体でもっともっと痩せたいパーツはある。
けれども、周りから「もう十分だよ」と言われても、
信じきれないこともある。理想の自分はこれじゃない・・・
ゴールはまだまだ先なんだと。
…しかし、よくよく考えてみれば、もっと他に理由があるのかもしれない。
実は、密かに自分を追い込んでいることに、何らかの安心感を感じているような、
満足間を覚えているような…
同僚N子はそのような考えに対し、
「自己評価が低すぎる」
と喝を入れる。
まずは、自分で自分を愛すること。
しっかり評価をしないと、
心に隙間ができて、その隙間を埋めようと、
手っ取り早く手に入るもの、埋められそうなものから、
考えなしに取り込み、穴を広げていく悪循環に陥っていくのだとか。。。
自分を愛する
一言で言ってしまえば簡単であるが、
甘やかすこととは違うし、厳しくしすぎることも違う。
自分自身に対して誇ることであって、
他人に対して自慢することでもない。
ワタクシにはうまく自分を愛することができているのか、
よくよく考えてみれば、上手に自分を愛せている人など
少ないのではないだろうか…と思うようになった。
そろそろ土用も開ける時期である。
その前に、今一度自分自身を見つめ、
自分自身の正しい取扱いができているか、
見つめ直してみるのも良いかもしれない。