香港人の距離感
香港人というのは、一点集中、
人が群がっているところ、
集中しているところに
集まるのが好きなように思われる。
例えば、先日も紹介したバスでの出来事。
他に座る場所も、立つ場所もあるというのに、
わざわざワタクシの行く手を阻むように
壁ドンの位置で立ちはだかる人。
ジムのトレッドミルで走っていると、
他に空きのスペースはたくさんあるのに、
ワザワザ真隣に来る人。
レストランで空きはいくらでもあるのに、
既にお客さんのいる真隣、相席くらいの距離に
通すウェイター。
朝早く出勤した際、人口密度がいつもと
比べ物にならないほど少なくなっている広い歩道で、
ワザワザぶつかってくる人々…。
偶然ぶつかるのは理解ができるが、
目の前から、進路を変えながら斜め前にいる
ワタクシに向かってどんどん近寄ってきて
ぶつかるなんて、一体どのような道理なのだろうか。
また、広いスペースにて人を待っている時、
直立不動の状態でも、老人がゆっくり歩いてきて
ぶつかりようのない状況で、舐めるように
ぶつかってこられたり…
番外編では杖をついた老人が、
登りと下り、1人ずつ通れそうな
狭い階段を下りる際、
大丈夫かな?と心配をしつつ近づいたら、
近づいた途端、ど真ん中に移り、
動線を遮ってきた。
きっと抜かされるのが嫌だったのであろう…
なぜ、これ程までに、人の群がる場所へ
近寄っていくのが好きなのであろう。
これはもはや遺伝子レベルで人のいる場所へ
近づいていくように刷り込まれているとしか思えない…。
先日、バスではおばさんが、例のごとく大声で、
「今日のクリスマス、⚪︎⚪︎に行ってみない?
きっと人が大勢いるはずだから!」
という始末である。
怒涛の戦乱の世の中で、一攫千金を夢見て、
色んなところから、色んな可能性を期待して、
移住してきた人たちで成り立っている
移民の街・香港。
おそらく、彼らのDNAには、
人の集まる場所=利益の得られる場所
という方程式が成り立つのかもしれない。
また、「利益」を得るためには
他の人に奪われないため「最短ルート」での
行動を余儀なくされ、そうすると、
その「最短ルート」に存在する「他人」、
「自分を抜かしていこうとする者」は
もはや障害物でしかなくなってしまうのではないかと言う。
…ワタクシが言っているだけである。
なんでもいいが、少しはプライバシーのある生活がしたいものである。